江戸時代~現在


折り紙文化をはぐくんだ江戸時代 

江戸時代には入ると、紙の生産量も増え「折り紙」はいっそう庶民に親しまれるようになりました。

1600年代後半に登場した浮世草子(うきよぞうし)※1作者の井原西鶴(いはらさいかく)の作品に、折り紙が「おりすえ」と呼ばれて登場します。物語の主人公がおりすえで鳥を作ったという話があります。

元禄の頃には、着物の衣装柄として「鶴」「舟」などの折り紙が流行し、浮世絵などによく描かれるようになりました。この頃から折り紙が急速に広まったことが分かります。

1797年には世界最古の遊戯折り紙のテキストと考えられる「秘伝千羽鶴折型」が出版されました。この本には「連鶴」※2の作品と、どのように紙に切り込みを入れて「連鶴」をつなげるかが書かれています。作品ごとに狂歌※3を添えた非常に凝ったものでした。

連鶴 妹背山

連鶴 風車


  ※1 江戸時代中期に流行した小説で、町人階級の世相などをありのままに描いたもの。

※2 1枚の紙に切り込みを入れ、「鶴」の口や尾で連結させて切り離さずに織り出す。

※3 五七五七七の形式を取りながら、社会風刺や皮肉などをこめた、こっけいな短歌のこと。江戸時代

  中期に大流行した。

 

明治時代以降

明治以降、洋紙が製造されるようになり大量生産が可能になったことから、紙の入手が容易になり折り紙も一般的になってきました。

「折り紙」は幼稚園教育にも取り入れられ、小学校の教材にもなりました。特に幼稚園では、ドイツの教育家フレーベル(1782-1852)が19世紀中頃に創始した保育法を大幅に取り入れました。この中にはヨーロッパの伝承折り紙と、それから発展させた幾何学的な模様折りなどが含まれていて、以降の日本の折り紙に大きな影響を与えました。 

 

大正時代になると折り紙は教えられたとおりに折るものとされていたため、創意工夫を重視する教育界の傾向の中で、創造的でないという考え方が強まってきたこともあり、批判されていた時期がありました。しかし、折り紙は見事によみがえり、現代では創作も盛んに行われ、教育的意味も見直され、豊かな可能性が認識されてきました。

子どもだけではなく、大人の趣味としても広がっており、世界各国に愛好者の組織が結成されています。